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結婚を決めた後、苗字で揉めても絶対に諦めない

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結婚を決めた後で、最初に勃発する問題は「どっちの名字にするか問題」です。

この争いが両家で勃発すると、とにかく揉めます。

結論から言います。現実的な終わらせ方は「どちらかの親を説得して諦めてもらう」ことです。

悲しいですが、駆け落ちでもしない限り、今の日本の法律上、結論はこの一つしかありません。

最終的に私たちの場合は夫側の親が折れて婿入りすることになりました。

私が実際に経験した「どっちの名字にするか問題」について書こうと思います。

目次

問題は初めての顔合わせで起きた

いざ、結婚を決意した私と妻は両家を呼んで顔合わせをすることにしました。結婚に至るまで、並々ならぬ障害がありました。そして、顔合わせです。初の顔合わせに緊張しながらも、ここまで辿り着いたという安堵がありました。

しかし顔合わせの当日、問題は起きました。

「shunくんには婿入りしてほしいと思っている」

妻側の父親が言い放ちました。

夫側の母親が言いました。

「そう言われても、こちらも大事な長男です。はいとは言えません」

その日はこれで終わりました。

真っ向から対立したのです。血の気が引ける思いでした。

それから数日後、妻側の母親から電話が来ます。

「あなた達の結婚に反対する気はありませんが、婿入りしないなら、結婚はありえない。家が釣り合わないので、向こうの家から断って」

こういう内容の電話でした。電話は激しい口調で1時間続きました。私は居合わせませんでしたが、妻にとっては苦しい時間だったことが想像できます。結果、妻はショックで風邪を拗らせて肺炎を患いました。

私は私で、実家に帰ると両親はカンカンに怒っていました。

「あの親はなんてことを言うんだ。こちらの気持ちはどうでもいいのか。私たちとは常識が違う。」

私も両親からは「苗字を譲る気はない。どうしても婿入りすると言うなら縁を切る。」といったことを言われた覚えがあります。

これが春のことでした。

苗字の問題に完全な解決策は「ない」

私と妻は困り果てました。私はもちろん自分の親や兄弟が大好きでしたし、妻も大切に思っていました。

どちらかの家と縁を切るという選択肢はありません。

駆け落ちすれば良いと考える人もいると思いますが、それは2人ともが両親と仲が悪かった場合のみです。いざ、問題に直面すると、「縁を切る」というのは簡単な決断ではありません。

苗字の問題に完全な解決策はありません。最後はどちらかの親が喜び、どちらかの親が悲しむ結果になるのです。

私たちは悩みました。何度も話し合い、喧嘩になったこともありました。

夫婦別姓を選べない日本の法律にも怒りを向けましたし、いっそのこと事実婚でもいいと思った時期もありました。

しかし、妻には「みんなに祝福されて結婚式を挙げる」という子供の頃からの夢がありました。

妻がこの夢を持つ限り、私に結婚を諦める選択肢はありませんでした。

この時、私は完全な解決策がないことを理解していたので年内に絶対この問題を解決することを心に決めていました。

手を離した方が本当の意味で愛情が深い

気づけば顔合わせから3ヶ月が過ぎていました。8月になり夏真っ盛りの時期です。

私達は改めて話を聞くべく両家を訪れることにしました。

両家の主張は変わりませんでした。

妻の両親は本当に縁を切りかねない勢いでした。

私は自分の両親を信じることにしました。

私には確信がありました。

私が本当に苦しんだ時にきっと私の両親は私を解放してくれるという確信です。

そして、そんなことでは縁が切れないという絆があるという確信です。

こういう時にいつも思い出すのは昔聞いた小話です。

2人の親が子供の両手を反対向きに引っ張っています。子供は当然痛がっています。

その時に先に手を離した方の大人が本当に愛情が深い親であるという話です。

私の両親はきっと手を離してくれる両親です。

私は自分の親を信じて、妻の苗字にする決心をしたことを両親に告げました。

母は泣いて悲しみました。私にとっても、これまでの人生で一番悲しい瞬間でした。

大好きな母親が私の裏切りによって目の前で泣いているのですから。

しかし、父は言いました。

「shunが自分で決めたことなんだ。応援してやるしかないだろ。shunも中途半端な気持ちでなく、しっかりやれ。」

その言葉に母も最終的には承諾してくれました。

本当に愛情の深い両親だと思いました。

こうして私たちの「どっちの名字にするか問題」は結末を迎えました。

自分たちが幸せになる道を2人で話し合って選ぶ

ちょうど「どっちの名字にするか問題」が終結してから1年が過ぎました。

私は今でも新しい苗字に全然慣れていませんが、思っていたよりは不自由ありません。

苗字が決まってからの1年間で、私たちは2回の前撮りをして、入籍をして、結婚式をしました。

2回の前撮りは洋装と和装でロケーションの前撮りをしました。入籍は2人が大好きなバンドが記念のライブをした日に縁もゆかりもない東京都文京区の区役所で入籍をしました。結婚式は両家が出席し、多くの友人達に祝ってもらいながら盛大に行いました。

今は2人で暮らしながら、いつ新婚旅行でイタリアに行くかを話しています。

苗字の問題が勃発した期間は本当に苦しかったです。

けれど、解決してからの1年間は今までの人生で一番楽しかったように思います。

今、私は両親と変わらず仲良くしていますし、妻と私の両親も仲良くしています。

私も妻の両親からは良くしてもらっていて関係は良好です。

苗字を決めるにあたっては色々な選択肢がありましたが妻と2人で考え抜いたこの結論は正しかったと思います。

こういう大きな問題が起こった時はまず一番大事なことを軸に考える必要があります。

今回の場合、私たちの軸は「結婚して幸せに暮らす」ことでした。

事実婚にも良い部分はたくさんあります。

でも、私たちは結婚したかったのです。

私は自分の両親を悲しませてしまった分、これから親孝行して行きたいと思います。自分が幸せに暮らして、親も大切にしていく。これで良いのだと思います。

今、苗字で問題が起こっている方、結婚で問題が起こっている方、たくさんいらっしゃると思います。

本当に大好きな人であれば、2人であらゆることを話し合って、2人にとって一番良い方法を見つけてください。

私にとって妻はそういう人でした。

誰かの素敵な日々につながると信じて、この記事を書きました。

この記事がどうか1人でも多くに人を救ってくれることを祈ります。

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この記事を書いた人

1994年1月生まれ。戌年、水瓶座、A型。

今は8年間付き合った後、2024年に結婚し妻と2人で暮らしています。

愛媛生まれ、幼少期は仙台育ち、小学生〜大学生まで大阪育ち、その後は島根と兵庫に移り住んだ後、今は京都に住んでいます。(引越しが多い!)

趣味はバスケットボールと英語と近所のカフェ巡りです。

バスケットボールは中学校から始めましたが、なにせ弱小チームで公式戦は一度しか勝てませんでしたが、懲りずに続けて、今は社会人サークルに所属しています。

英語は大学生の時に「英語ができれば、この先飛び付けるチャンスの幅が大きく広がる」と思い、勉強を始めました。初めは1人で勉強しているだけでしたが、英語の先生に出会ったり、お城のボランティアガイドをしたり、海外の友人ができたりしました。もう10年近くになりましたが、当初の目標の大部分は達成できたのではないかと思います。強い思いで継続すると何かしら形になるのだと実感しました。

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